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つなぐ想い ~平和と復興の象徴 アオギリ2世から3世へ~ 

本校で育てているアオギリは3世です。「被爆アオギリ里子運動」関西事務所の左藤滋光代表から『是非、アオギリ2世の種子からアオギリ3世を育ててみてください』と昨年秋に本校2年生が関西方面へ修学旅行を実施した際に、譲り受けたものでした。
左藤様は、平成25年(2013年)の本校の修学旅行において本校生が京都市・二条城で『アオギリ2世の植樹式』に参加することになる経緯に尽力してくださりました。そのアオギリ2世が育ち、種子が採取できたため、左藤様より『ぜひ、今度は会津高校で育ててみてください』と頂戴しました。

広島市役所公式HPによると
初代のアオギリは、
広島に原爆が投下されたとき、爆心地から約1.3km離れた、中区東白島町の広島逓信局の庁舎(現在の日本郵政グループ広島ビル。以前の中国郵政局。)の中庭に4本ありました。
この木は、爆心地方向にさえぎるものがなかったため、熱線と爆風をまともに受け、枝葉はすべてなくなり、幹は爆心側の半分が焼けてえぐられました。植えられていた4本のうち、1本は焼けてしまいました。枯れ木同然だったこの木は、翌年の春になって芽吹き、被爆と敗戦の混乱の中で虚脱状態にあった人々に生きる勇気を与えました。その後、1973年(昭和48年)5月に平和記念公園への移植されました。移植された3本のうち、1本は枯れてしまいました。その後、二世と確認できる苗木が発見され、現在は3本です。
平和記念公園への移植で枯死するのではないかと心配されたアオギリは、その後も毎年、多くの種子をつけ、復興や平和の象徴として国内外へ贈られています。
京都市などと植樹事業を主催する団体「被爆アオギリ里子運動」関西事務所(左藤滋光代表)が広島市からアオギリの苗木を譲り受け、京都の二条城へ植樹することになりました。
二条城へ植樹する1年前の2012年3月、京都市と会津若松市は幕末から明治にかけて歴史的な縁があったため、「相互交流宣言」を行いました。

昭和62年(1987年)以降、本校の修学旅行団が関西方面を訪れると毎回、京都にある会津藩士の墓前で剣舞委員会の生徒たちが会津藩士の慰霊の舞を奉納していることがきっかけとなり、『二条城へのアオギリ2世の植樹式』へ本校生徒が参加するよう、お声をかけていただきました。

私たちは、
会津の自然、過酷な猛暑や冬の厳しい寒さに耐え、それでもしっかりと会津高校に根付き、生徒と共に成長することで、いつか、会津高校生の成長を見守る樹になってほしいという思いで育てています。